8/3 ベルリン旅行 ~4日目~
とうとう最終日です。
ホテルの前の通り。なんてことない通りでもこの緑の量! 今日の予定はチャーリー・チェックポイントのみ。 とりあえずKaDeWeというデパートに行ってみたけど休館日でした。 今日は何かの祝日だったっけ??と二人で頭を傾げていましたが 良く考えたら何のことはない、ただの日曜日でした。 通りにも人が少ないはずです。 KaDeWeは『ヨーロッパ最大級のデパート』の触れ込みのようですが 外から見る限りでは、別段代わり映えのしない普通のデパートに見えます。 パリのデパートもシケてるからなァ。 そういう意味では日本のデパートはすごいといつも思います。 電車に乗って散策は続きます。 ここはベルリンいち美しいと言われているというジャンダルメン広場。 正面がフランス大聖堂、左側の建物はコンツェルトハウスです。 フランス大聖堂は、17世紀にフランスを追われたプロテスタント信者が立てた教会。 コンツェルトハウス。 ここを拠点にしているコンツェルトハウス管弦楽団のコンサートマスターには 今年から日本人女性が就任しているんですって! いよいよチェックポイント・チャーリーに到着です。 これは旧東ドイツ側からの風景。 チャーリーというのはアルファベットの『C』のことで、C検問所という意味です。 壁崩壊前は、ここはは外国人と連合軍(アメリカ・イギリス・フランス)専用の 国境検問所でした。 こちらを向いている大きな写真は1990年代に実際に駐留していたアメリカ兵だそう。 東ドイツ側を見ています。 芸能人でもないのにこんなに大きく引き伸ばされて、本人はどういう気持ちなんでしょうか。 西側からの風景。 こちらを向いているのはロシア兵。この人も実在の兵隊さんだそうです。 今では観光客が世界中から押し寄せる屈指の観光名所のひとつだけれど ここが分断され、通行しようとした人々が容赦なく殺されていたのは ほんの20年弱前の話。ついこの前まで赤い血が流れていた場所なのです。 次に立ち寄ったのは、トポグラフィー・オブ・テラー。 第二次世界大戦中にナチスの親衛隊本部が設置されていた場所で、野外にパネルで 当時の様子を展示しています。 1942年。ナチス占領下のパリの写真。子供専用の遊び場にまで 『INTERDIT AUX JUIFS(ユダヤ人禁止)』という看板があります。 都市のど真ん中なのにこんなに緑が溢れています。 ちなみにこちらは駐車場。 最後にどうしても外観だけで良いので眺めておきたかったベルリンフィルの本拠地。 ベルリンフィルといえば、巨匠カラヤン。 34年間もの長きにわたって芸術監督を務めました。 そうそう、カラヤンはソニーの大賀会長の腕の中で息を引き取ったって知ってました?? ソニー・レコードに電撃移籍しようと水面下で動いていた矢先の出来事だったそうです。 これで予定していたすべての観光が終了。 最後のランチはポツダム広場のソニーセンター内にあるカフェで取ることにしました。 とりあえずビール。もちろん大きいほうが私のです。 ジャンク・フードばかり食べていてドイツの伝統料理をほとんど食してなかったので 最後くらい地元料理を注文します。 アイスバイン(塩漬豚スネ肉の煮込)と迷って、結局ハクセ(豚スネ肉グリル)を注文。 隣の女性二人は、大きな鶏の骨付き唐揚げバスケットです。 中身が見えないのが残念!ものすごい大きさです。 大満足でした!! ここから一旦ホテルに戻り、荷物をピックアップして空港へ。 18時台の飛行機に乗って無事パリに着きました。 当初、正直なところあまり乗り気でなかったベルリン旅行。 デンマークは?フィンランドは?それとも南仏は?、といろいろ提案するも 「ベルリンがホットらしい。」と言って聞かない妹に折れて決めた行き先でした。 行ってみたら予想に反して何もかもが快適で、とても楽しい4日間!! 楽しかった旅行は数あれど、「住んでみたいな。」と思う場所というのは ありそうでなかなか無いものです。 いつもの通り、妹がガイドブック&インターネットにて事前準備を重ねてくれて 毎日の計画を立て、旅行中も2冊の重いガイドブックを常備して先を歩きます。 そこに私とアオチがついていくのだけど、これが中々に絶妙なペアなのです。 そして私に課された任務はといえば、このブログ。 妹の『予習』と私の『復習』で、ようやく旅の終わりです。
by yubiere
| 2008-08-21 06:46
| 旅行
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